2013年1月9日水曜日

相対β、1979年2月17日(土)


 相対α、1979年2月17日(土)

「私も同じことを考えていたの。私たち、同じ母親をもった兄妹みたいな感じがする」
「ちょ、ちょっと、それはマズイ。兄妹だと、キミにキスもできないよ」
「あら、概念として、ということで、キスでも何でもしていいのよ」
「う~、ま、まあ、それは将来の課題にとっておきたい」
「初日だもんね」
「そう、初日も何も、まだ数時間しか経過してない。。。おっと、もう7時半過ぎだよ。絵美、帰らないと。。。」
「あら、ホントだ。母に早く帰る、っていったんだ」
「帰ろう」といって、バーテンさんに「チェックお願いします」と頼んだ。
「デートの条件、よね?ごちそうさま」
「おやすいご用で」

 僕ら電話番号と住所を交換して、ホテルを出た。御茶ノ水駅まで行く途中で、絵美が、

「ねえねえ、明日もひま?」とうれしそうにいう。「ひまだよ」と僕。
「上野行かない?近代美術館と、国立博物館と科学博物館に行きたい!」
「いいよ、僕も最近行っていないから」
「じゃあ、明日、お昼過ぎでどう?」
「りょうかい、出る前に電話かけるよ」
「つき合ってくれて、ありがとう」
「こちらこそ」

 僕らは、御茶ノ水駅で1、2番線と3、4番線で別れた。彼女の電車が来るまで、僕は彼女をずっと見ていた。彼女も僕をずっと見ていた。いろいろな人がホームにあふれていて、面白そうな人を見かけると、指さして彼女は笑う。僕も笑う。
相対β、1984年3月20日(火)

 洋子は横でスヤスヤ眠っている。

 僕はそっと起き上がって、服を着た。ペニンシュラホテルを出た。

 どこにも行き着く場所もなく、フラフラとセントラルパークに行ってしまった。

 時間は午前2時になっていた。

 僕は、公園の柔らかい芝生に呆然と膝をついて、天を仰いでいた。このような目には遭いたくない、遭いたくなかった。救いがなかった。恐ろしい話だった。そのあとは・・・おまけみたいなものだと思った。

 その時、僕の視野の色彩が破裂して・・・

相対β、1979年2月17日(土)

 あれ?

 ここはどこだ?

 え?NYじゃない。日本だ。日本の国鉄のホームで、お茶の水じゃないか?

 おかしなことが・・・夢か?

 眼の前をオレンジの中央線が発車して、飯田橋方面に走りだした。

 電車が通り過ぎたホームで、僕の東京方面のプラットホームから向こうが見えた。

 そこに女性が立っていた。

 僕と同じく唖然とした顔をした女性が立っていた。

 洋子だった。

 僕らはお互いマジマジと顔を見つめ合った。

 そして、僕は彼女のプラットホームへと連結橋に向けて駈け出した。

 とうとう、彼女の前に立った。

「キミなのか?洋子?」
「そう、私」
「たぶん・・・僕は今絵美と別れたところで、それは、1979年の事だったと思う。キミは、1984年にニューヨークのペニンシュラの僕の部屋で眠っていた。そして、今、僕らはここにいる・・・」
「フランク、何が起こったのかわからないけど・・・」
「僕がキミと最初に会ったのは、1979年、今年?今年の12月のクリスマスイブじゃないか?今は、たぶん、1979年の2月だと思う・・・」
「フ、フランク、あなたは1984年から来たのでしょう。でも、私は違うの」
「だって、キミは僕と一緒のホテルの部屋で・・・」
「違うの・・・私が来たところは、1986年のフランスからなのよ!」
「なんだって?」
「フランク、私たち、どうなったの?何が起こったの?」と洋子が僕に訊いた。僕にもわかるわけがない。

 僕は「う~ん」と唸って、腕を組んだ。自分で自分を整理させてほしい。

 まず、僕は、1984年3月20日にいたのだ。場所はニューヨークだ。ペニンシュラホテルの僕の部屋で洋子と抱き合って眠っていて、その後、眠れずにセントラルパークに行って、呆然と空を見ていた。そして、僕の周囲が光り輝いて、その後、僕は駅のホームに立っていた。それは、1979年の2月17日。初めて絵美に会ったその夜。絵美と別れて、絵美が目白方面に帰る反対側の国鉄お茶の水駅のプラットホームに僕は現れた。

 いや、現れたのではなくて、1984年3月までの記憶を持つ僕が、1979年2月の僕に出現、侵入?したと言っていいだろう。だから、今の僕は、これから5年間の将来の記憶を持つ僕なのだ。そして、僕と同じように過去の自分に侵入した洋子は、1984年にNYのペニンシュラの僕の部屋でスヤスヤ寝ていた洋子ではなく、1986年から来たと言っている。つまり、僕よりも2年分、将来の記憶がある洋子なのだ。その二人が、同時に、1979年に現れたのはなぜだ?

 僕らの現在の肉体は、僕が21才で、洋子が34才だ。持っている記憶は、僕が26才までの記憶、洋子のそれは41才までのものだ。そして、死んだはずの絵美はまだ生きているのだ。洋子と僕が初めて会ったのは、今の1979年2月ではなく、10ヶ月後の1979年12月のはずなのだ。本来なら、僕は洋子を知らない時空にいる。

 その概略を僕は洋子に説明した。「なんていうことなの?私たちがまだ会ってもいない過去に私たちは違う時空から戻ってきて、過去の肉体に侵入したの?それも、あなたの知っていることの2年後のことまで知っている私なの?」「そうだよ、そのようだ」

「フランク、腕を組んで唸っていないで、どこかで話しましょ」
「どこに行くの?」
「あら?今日が1979年の2月なら、私は・・・確か、また東京に出張していて・・・」と、洋子はハンドバックに手を突っ込んだ。ゴソゴソかき回していた。「ほら?」と洋子が名刺大の二つ折りの紙を差し出した。「なに?これ?」と僕が訊くと、「今晩、泊まっているホテルに決まっているじゃない?帝国ホテルよ。思い出した?フランク?」

 それはホテルのリザーブカードだった。

「キミが新潟から上京していつも定宿にしていた帝国か?」
「そうそう、とにかく、駅を出て、さっさとタクシーを拾って、ホテルの私の部屋に行きましょう。なんてことかしら?いつもホテルの部屋なのね?キミと私は?」
「洋子、それが起こる、始まるのは、これから10ヶ月後なんだよ?」
「そうよねえ、フランク、なんてことなの?・・・あなたの子供、置いて来ちゃった・・・」
「なに?な、なんだって?」
「あれれ、知らなかったわね、1986年に私はあなたの子供を身ごもっていたのよ」
「な、何を言っているんだ?」
「騙して・・・ううん、騙すのは未来ね。騙したのよ、キミを」
「よ、洋子、洋子・・・」
「さあ、駅を出ましょう、私のホテルに行きましょう。今晩、私を妊娠させてもいいことよ?どう?フランク?グリュックのノン・ヴィンテージを飲んで、スッキリしないと・・・あなた、明日・・・じゃないわね?今日、絵美さんとデートなんだから・・・その前に、セックスしようよ、私と。ね?フ・ラ・ン・ク?」

相対α、2010年6月28日(月)

「ソルボンヌでいいんでしょ?」と洋子は言うのだ。
「あのね・・・」と私は言う。
「だって、フランク、あなたの娘と私たちの娘と、あなた、どう思っているのよ?」
「いや、だって、洋子、キミね、私がソルボンヌの教授なんざいたしませんよ、なにが悲しくってフランスくんだりまでいかなければイカンのか?」
「たまには私に会っても楽しいでしょ?」
「そういう話ではありません!そもそも、なぜに、洋子、キミのお膳立てでそんな地位をこのFRANK LLOYDが欲しがると思うのかね?」
「だって、私はあなたが欲しいもの」
「ま、いいですが、ああた、僕らの娘は、私の娘の1歳上だが、かなり・・・だろ?」
「まあ、相当だわよね」
「それで、リリースしておけばいいではないか?」
「FRANK LLOYD抜きで?」
「そうならざるを得ないではないか?キミが養育、父親はしらん、という約束だっただろ?」
「私も60歳を過ぎて、気分が変わったとでも思ってよろしいわ」
「彼女は永遠に父親抜きでかまわんではないか?どうせ、天才なんだし、彼女は彼女なりに世界を変えるでしょ?」
「実の父親抜きで?」
「洋子、キミが聖母マリアで懐妊したとでもいっておけばいいだろう?」
「FRANK LLOYD、彼女、あなたを知っているわ!」
「(絶句)・・・な、なぜ?どうやって?」
「それは断片的な情報だけど・・・自分で集めて・・・FRANK LLOYDの本名を割り出したのよ。私が言ったわけではありません!」
「・・・あ~あ・・・」
「だって、Googleすれば、あなたの情報なんてすぐ出てくるらしいわよ?」
「我が愛する洋子、キミはPC、得意じゃないからな・・・」
「それはね、フランクの血でしょう?」
「まあ、そうですな・・・」
「ね?」
「・・・じゃなくて!そもそもソルボンヌってのはなんでなんだ?モンペリエじゃないのか?!」
「あら・・・私、今度、あっちの正教授になるから・・・」
「(絶句)・・・じ、人生は単純に・・・って、言っただろうに?ぼ、僕の人生を破壊するつもりですか?洋子?」
「あら?たま~に、会って下さればよくってよ。毎日とは言いません!」
「ぼ、僕がだね、そう器用にウソつけるとでもお思いなんでしょうか?洋子?」
「そうだねえ・・・ウソ、つけないよね、それは。フランクだからね」
「でしょ?」
「わかりました!来たくないのね!」
「キレなくてもよろしい。でも、行きたくありません。スリランカでやることがあります」
「ようございます!わかりました!」
「それ、洋子、もっと前、23年前に言って欲しかったよ・・・」
「冗談よ、冗談。からかってみただけよ」
「ホントに?」
「・・・成功率3%にかけてみただけなのよ。でも、職に困ったらいらっしゃい。邪魔はしないわよ」
「まあ、パリにもしも用事が出来たら行くよ」
「期待しないで待ってるわ」
「か、彼女は?」
「大丈夫よ、私たちの娘でしょ?強いわよ」

 ・・・

「・・・いや、ち、違うよ、洋子・・・」
「なに?フランク?」
「僕らは根本的に間違っている」
「何をおっしゃるの?フランク・ロイド?」
「僕らはもどるべきなのだ」
「え?」
「僕らは、あの1979年の12月24日、銀座の第一ホテルで僕らが会った、という時に戻るべきか・・・」
「何を言っているの?」
「または、1984年3月18日の日曜日、絵美の殺害を絶対に阻止すべきか・・・」
「あなた、何を言っているの?」
「或いは、1986年7月3日の僕が洋子と一緒に居た、そして、彼女を創った、そのいずれかに戻るんだ」
「フランク、あなた、頭がおかしくなったの?」
「そう、思う?そう、洋子は思うかね?じゃあ、キミは、洋子は、どの時点からやり直せばいいと思うか?もしも、やり直せるなら?」
「あなた、何を言っているの?」
「洋子、キミは、僕がそのいずれかを変えられるかもしれないと思ったことはないのか?」
「フランク、あなた、あなたはいまさら、何を変えたいの?」
「洋子、キミが望むものはなんでも。絵美という存在のない僕、洋子という存在しか信じていない僕、そういう僕にすらも、僕は僕自身を変えてあげよう、キミも」
「フランク、頭がおかしくなったの?」
「そうでもないよ。ストーリーはこうだったよね?」

相対α、1979年2月17日(土)

「それをね・・・こう変えるんだ」
「ちょっと、あなた、フランク、いまさら・・・」
「いや、もうね・・・」

相対β、1979年2月17日(土)
 

 今年は、雨の多い春だった。ピーコートというのは寸詰まりのせいか腰から下がスカスカしてかなり寒い。飯田橋に行って来期の単位票を提出した。誰とも会わなかった。部室に行っても誰もいなかった。今日はしっかり南京錠がかかっている。鍵を忘れたので、入るわけにもいかなかった。当たり前だ。春休みで小雨の降る土曜日の午後に誰が大学に出てくるものか。

 まっすぐ家に帰る気もせず、お茶の水で降りてしまった。古本屋でもあさろうかと。僕は駿河台の坂を下っていた。

 お茶の水は何事もなく、ひっそりしていて、春休みの大学街には古本あさりのおじさんがちらほら傘を差して歩いているだけだ。この坂で70年安保なんてやっていて、石畳を剥がして投石していた十年前が想像できない。トボトボ歩いていたら、明治大学の横に来てしまった。文系の大学の方が理系の大学より大学っぽい、というのはなぜなんだろうか?やっぱり、女の子がいるか、いないかの差なのかもしれない。

 門をくぐって、構内に入っても誰もとがめる人もいないので、ズンズン奥の方に行ってしまう。ここは、いつもなら僕の大学にはあまりいない女子学生が闊歩しているのだろうな、などと思いながら、教室、教室を覗いて歩く。もちろん、誰もいないのだが。

 事実、誰もいなかったのだ。

 僕は誰にも会わずに、駿河台の坂を下りて、古本屋街に戻った。

相対β、2010年6月28日(月)

「ほら、洋子、僕の人生から、絵美は消えたぞ」
「な、なにをしたの?あなた、何をしたの?」
「僕に何をさせたい?」
「何も変えないでよ!」
「もう、変わっちまったよ。だから、絵美は、生きているんだよ。僕と会わなかったから。次は?」
「あなた!フランク!」
「次は、僕は洋子と1979年の12月24日に逢った、しかし、キミの妹の美佐子とのことは、結果が違った。だから、僕は、スリランカに逃げ出さなかった、海外に行かなかった、という筋書きはどうだ?」
「ちょ、ちょっと!」
「そうすると、僕が結婚するのは美佐子だよな?洋子、キミは僕の義理の姉だ」
「あなた!フランク!な、なんという・・・」
「まだまだ、まだ、僕とキミのミッシェルはいるよ。キミは僕をなんだと思っていたの?」
「あなた、何者?」
「さぁって、量子的ラプラスの悪魔?」
「な、なんなの?バカなことを言わないでよ?」
「古典的なラプラスの悪魔とはね、『もし、ある瞬間におけるすべての物質の力学的状態と力を知ることができたら、しかも、もしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も、過去と同様に、すべて見えている』という存在だね?ところが、不確実性だ、私たち、ラプラスの悪魔も厄介払いだ。しかしね、そうはいかない。観察者なんてのが、たかが人類ですから。僕たちは超越しているんですよ。もちろん、すべては見通せません。『ある瞬間』の微分値を無限からある有限に規定するのだよ」
「ど、どういうこと?」
「『ある瞬間』を単に50年くらいに収束させて、量子的になればいいのだよ」
「そ、それって?」
「少なくとも、50年間の宇宙の事象を僕は変更出来るんだ。いや、もう変更した。だけど、変更した後はもう元には戻せない。限界が50年。それを再度となると、50年を超えるんだ。もう、絵美はいない、僕の人生に、ということ」
「あなたは私に何をしたの?彼女が私の・・・」
「いないのだから、しょうがない。さあ、現在は美佐子が僕の妻だ。彼女をどうするのかな?」
「何を彼女に?」
「彼女は僕のような物理的な魔物ではない。しかし、恐るべき生理的な魔物だ。彼女は、義理の姉のキミが僕の本当の女(ひと)だと知っているよ。抹殺していい?彼女を?美佐子がいなくなれば・・・ああ、ミッシェルもいなくなるな。でも、キミは僕のもので、僕はキミのものだ。さて、どうする?」
「どうするって、何をどうするの?すべて元に戻してよ!元に戻せ!フランク・ロイド!」

相対α、1980年6月14日(土)

「どうするって、何をどうするの?すべて元に戻してよ!元に戻せ!フランク・ロイド!」と、洋子がうなされながら言っている。何の夢を見ているのか?これこれ。
「洋子、どうしたの?」と揺さぶった。
「フ、フランク、キミはいったい何を私に・・・」と、彼女はまだよく目が覚めていないようだ。なんだか涙ぐんでいる。
「可哀想な洋子お姉さんが哀願されているので、慰めてあげていて、絵美とのキャンプの話をしているうちに、洋子が寝てしまって、僕も寝てしまいましたが、何を僕は元に戻せばいいのでしょうか?洋子さん?」
「え?何?ここはどこ?」
「何を言っているの?1980年6月14日。洋子のホテルの部屋に決まっているでしょう?いったい、どんな夢を見ていたの?」
「え?え?私たちの娘は?」
「え?洋子、いつの間に、僕らに娘ができたんでしょうか?」
「美佐子は?」
「だれ?美佐子さんって、誰なんですか?」
「・・・あ、ああ、ゆ、夢だったの?」
「悪い夢のようでしたね?美佐子さんって、誰なんですか?」
「・・・いいえ、誰でもないのよ。夢の中の登場人物よ・・・予知夢でも視ていたのかしら?」
「予知夢?」
「30年後の私たちの夢を見ていたのよ」
「そんな遠い将来の夢を?僕らにどんな将来があったんですか?知りたいな?」
「・・・な、何も起こらなかったわよ、起こらなかった・・・だから、あなたに元に戻して、今に返して、って、言ったんだと思う・・・」
「ふ~ん・・・僕らに何も起こらなかったの?」
「ええ、なぁ~んにも起こらなかったのよ。」
「それでいいの?」
「それでいいのよ」

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